「サンデー毎日」(2022年11月6日号)によると、日本共産党は旧統一教会と「最終戦争」をしているのだという。
記事では共産党・志位和夫委員長と田原総一朗氏とが対談していて、その中で志位委員長は次のように言う。
「長い闘いだった。振り返れば、彼らが反共の先兵として最初に牙を剥いたのは、革新府政を7期28年務めた蜷川(にながわ)虎三京都府知事の後任を選ぶ1978年の知事選だった。保守vs.革新の大激戦になり、この時に前面に立って謀略的な反共攻撃をしたのが勝共連合だった(革新側敗北)。」(上掲「サンデー毎日」14頁)
確かに、1978年の京都府知事選は勝共連合が革新政権を打ち倒した勝利の戦いでしたから、よほど志位さんは悔しい記憶として残っているのでしょう。今、その勝共連合・統一教会と「最終戦争」をしているのだ、と。笑
では、ここで勝共連合の熱烈な同志であられた弘津恭輔氏(元総理府総務副長官、元公安調査庁第一部長)が、その京都府知事選について語っておられる文章を紹介しておきます。
「・・・『勝共連合』の運動の歴史の中で、私が一番感動を覚えたのは、1978年の京都蜷川革新府政を打倒した時の、知事選における勝共連合の壮烈な闘い振りであった。当時、28年も続いた『京都蜷川革新府政』は、『京都共産王国』とか『人民共和国蜷川府政』とかマスコミ界で騒がれていたのである。(中略)
日本共産党は、京都蜷川府政を日本革新の灯台の火と高く評価し、この灯台の火を消してはならない、と全党員に呼びかけていた(1974年京都で開かれた『党の旗びらき』における不破書記局長の講演)。ところが、この不破氏の講演から4年たった78年4月の府知事選で、この日本革新政治の灯台の火は消されてしまった。・・・」
(「私のみた勝共運動」40‐42頁、弘津恭輔「革新の灯台の火を消した勝共連合」より)
弘津先生は公安調査庁第一部長も務められた方で、日本共産党の暴力的な体質をよくご存知だったのでしょう(弘津先生については、「家庭連合・統一運動に賛同する人々」の弘津恭輔氏の項目を参照)。
共産党は旧統一教会を「反社カルト」などと呼んでいるようですが、共産党こそ破防法(破壊活動防止法)に基づく調査監視対象である(公安調査庁見解)とされている反社会的な団体なのです。
テレビや左傾化するメディアは共産党、左翼弁護士、左翼ジャーナリスト、コメンテーターらを正義の味方のように扱い、旧統一教会および安倍元首相の遺志を引き継ぐ国会議員たちを魔女狩り的な手法で排除することに力を入れています。そして、現政権はその勢いに圧倒されている状態です。
もちろんこういう流れの中にあっても、法治国家としての良心に基づく正論を主張しておられるごく少数のメディアや言論人が存在することは知っていますが、その声は多勢の前に事実上かき消されています。
しかしながら、このような国家レベルの魔女狩り的な宗教・思想弾圧は、将来必ず歴史的な審判を受けることになるでしょう。