▲「産経新聞」2022年11月8日、自民細野氏「テロリストを成功者にしてはならない」
自民党の細野豪志・元環境大臣は、旧統一教会をめぐる法整備について産経新聞のインタビューに応え、「テロリストを成功者にしてはならない」と語ったことが報じられています。
確かに、今のメディアは統一教会バッシングに明け暮れ、教会と関係があった安倍元首相がテロによる最大の被害者であるにもかかわらず、まるで悪者のように扱われる傾向があります。
山上容疑者は、悪者の安倍元首相を殺害することに「成功」したのであり、旧統一教会を弾圧することに「成功」したテロリストであると結論づけたいのでしょう。
細野氏は、「加害者の恨みを社会や政治が晴らしているような風潮には懸念を持つ。私は旧統一教会と関係はないが、テロリストの思惑を端緒に立法を行うことは、正しいのか。」と疑問を呈しています。
このご意見は、その通りだと同感いたします。
テロリストが恨みを持って安倍元首相を殺したのだから、その恨みをみんなで晴らしてやろうじゃないかという異常極まりないことが法治国家日本で起きているのです。
そして、細野氏のような正論を言う人が、逆に「魔女狩り」のように非難の対象になる社会風潮こそが異常なのです。
細野氏がおっしゃることを私なりに整理すると、概ね次の3点が問題提起されるべきだと思います。
(1)罪刑法定主義
(2)遡及(そきゅう)法の禁止
(3)推定無罪の原則
1番目の「罪刑法定主義」は、ざっくり言うと現行法に違反していないことでは誰も裁かれないという法治国家の大原則です。
家庭連合(旧統一教会)は、現行法に違反する犯罪行為を組織的に行なうようなことはありません。少なくとも最近の数十年間で、現行法に違反する重大な違法行為は認められません。もしもそんなことがあったら、有田芳生氏が国会議員だった期間に国会で騒ぎまくっていたはずでしょう。
すなわち、現行法に違反していない団体を違法なものとして扱うことが非常に大きな問題なのです。
細野氏は「気の毒な状況にある元信者らの救済のため政府や多くの国会議員が努力していることは理解する。だが、まずは現行法で対応すべきだろう。」と言われますが、全くその通りです。それがまともな罪刑法定主義の精神です。
2番目の「遡及法の禁止」も近代の法治国家が守る原則であり、これは新しい法律を作って過去の行為を裁いてはいけないということです。
旧統一教会について言えば、いわゆる「壺」などはすでに30年以上前から販売をしていませんし、「印鑑」にしても象牙の輸入が厳しくなった時期から急激に販売が縮小しました。しかも、その後に消費者契約法などが強化されたため、そもそも違法行為というものが厳しく規制されているのです。
メディアはあたかも、現在でもあちこちで壺が高値で売りつけられているような異常な印象操作をしていますが、まったく事実ではありませんし、過去の行為について新しく法律を作って特定の団体を裁くことを政府が進めること自体、法治国家としてあり得ないほど異常なことと言わざるを得ないのです。
3番目の「推定無罪」はよく知られた法の原則ですが、裁判を受けて有罪が確定しない限り無罪であると推定しなければならないのです。
ところが旧統一教会に関しては推定無罪どころか、その「関連団体」「友好団体」でさえも違法な反社会的存在であり、自民党などは選挙応援を受けることやインタビューを受けることすら禁止され、ともかく「一切の関わりを持ってはいけない(党を除名する)」という扱いなのです。
この岸田政権が支配する日本、どこが法治国家なのでしょうか?
近代の自由主義諸国が多くの犠牲の上に築き上げた「法の精神」はどこにあるのでしょうか?
細野氏は、「不幸な状況の解決手段としてテロを利用することは二度とあってはならない。いかなる理由でも暴力による問題解決は認めないとの社会的コンセンサスをもう一度作る必要がある」と言われます。
全くその通りですが、すでに今の日本は安倍元首相の暗殺をむしろ喜び、容疑者のテロリストを英雄視する人々が政界・言論界を支配しており、国際的にもテロ容認国家の印象を深めているのです。
こういう状況について強い違和感を感じ、忍び寄る左翼勢力に勇敢に立ち向かう政治家、法律家がほとんど力を持っていない現状は、まことに情けないことであると思います。
ちなみに、細野氏は京都大学法学部で佐藤幸治博士(憲法学専攻、現京大名誉教授)のゼミに学ばれたとのことですが、左翼弁護士等の過激な思想にいとも簡単にマインドコントロールされる国会議員らが多い中、こういう健全な憲法精神を身につけた国会議員は今の日本には本当に貴重な存在だと痛感いたします。
更にまた、深刻な外交・安全保障問題、経済問題などそっちのけで旧統一教会のバッシングに興じる国会の異常さを見ていると、この動きの背後で暗躍すると思われる勢力に対して、強烈な不気味さが感じられてきます。