2022年08月17日

「週刊新潮」も、「一和高麗人参茶」の広告を掲載していた!

新潮社の「週刊新潮」は、自民党の生稲晃子議員萩生田光一政調会長と6月18日に東京・八王子市内の旧統一教会の関連施設を訪れていたと報じたのだそうです。

思わず、「一体そのどこが問題なんですか?」「それって犯罪行為なんですか?」と聞きたくなりますが、それはともかく新潮社としては自民党の国会議員が統一教会系の関連施設を訪れたことを問題視しているようです、

しかしながら、「週刊新潮」は統一教会の問題でワイドショーがワイワイ騒いでいた1995年(4月20日号)で、統一教会系のブランド「一和高麗人参茶」の広告を掲載していました。

(▲「週刊新潮」1995年4月20日号、138頁「一和高麗人参茶」広告)

もしも統一教会関連のものを宣伝したり関係を持っただけでも罪(?)だという独特の論理からすると、「週刊新潮」こそ自身の「罪」を棚上げにして他者を非難する卑怯者、ということになりはしないだろうか?

私は国会議員が統一教会関連の施設を訪れることに全く何の問題もないと考えているし(そんなものは個人の自由です)、一般の週刊誌が統一教会信者の関係する商品の広告を掲載することも、全く何の問題もないと思っています(契約の自由です)。逆に、それを規制するのは特定の信仰を否定する人権侵害だと思っています。

テレビなどのコメンテーター(弁護士を含む)の言うことを聞いていると、ひょっとして「信教の自由」と「政教分離」の概念がごちゃごちゃになってのかな、と思うことがあります。

一般人であれ政治家であれ、信教の自由は「個人として」尊重されねばなりません。これは憲法上、絶対的に認められなければ近代国家とはいえなくなります。これが認められないと、例えば公明党議員などは全員アウトになるでしょう。

なので、統一教会が暴力団に指定されているとか公安の監視下にある危険団体であるという法律上の確たる根拠がない限り、どういう交友関係があっても基本的には全く自由なことであって、この自由は絶対に侵害されてはならないのです(当たり前なのですが)。

また、「政教分離」というのは個人ではなく国家権力として特定の宗教団体などを優遇したり差別してはいけない、というものです。個人としてはどんな信仰を持ってもよいが、国家は特定の信仰を優遇(差別)してはいけない、ということです。

このように考えると、今の政府やマスコミは個人に関しても信教の自由を侵害しており、国家権力(岸田首相の発言等)においても特定宗教に対する不当な差別がなされていると言わざるを得ないのではないでしょうか。

「いや、だって統一教会は過去に悪いことをしたじゃないか」と言う人がいるかもしれませんが(たぶん30年ぐらい前の話をしているのだと思うのですが)、それが事実であったと仮定しても、現在の教会の状況は現在有効な法と証拠に基づいて判断されねばなりません。

それを、ただ怪しい団体とか政界に巧妙に入り込んでいる団体だから危険だとか、違法性を証明できない単なる「世間の噂」みたいなもので信教の自由や選挙活動の自由が否定されるとしたら、それこそ重大な人権侵害ではないかと思います。

いわゆる「罪刑法定主義」という考えがあり、もしも統一教会(現在は「家庭連合」)が何か悪いこと(違法行為)をしているというのなら、現在有効なものとして定められている法律を適用して裁けばよいだけのことです。

もしも今の法律では不足な面があるというのなら、法律を新しく作るしかないのです。もちろん、新しく作った法律で過去の行為にさかのぼって裁くことはできませんが(不遡及の原則)、それが近代国家の常識なのです。

つまり、今のメディアは前近代的な野蛮行為に走っていると思うのですが、法律的な正論を勇敢に指摘できる余地が全くないほどに、テレビ番組を中心に「魔女狩り」「人民裁判」「集団リンチ」のような状態が続いています。

たぶん、今のテレビには国家権力を超えるほどの権力や影響力があり、ちょっとでも正論を言えば「お前も統一教会か!」などと別角度から矢が飛んでくるため、誰もあえて嵐の中に飛び込んでまで正論を述べる勇敢な人はいない、ということでしょう。
posted by むちゅう(江本武忠) at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 安倍元首相暗殺事件をめぐって

「週刊現代」は「一和高麗人参茶」の広告を掲載していた!

テレビでは連日のように、政治家などを中心として統一教会関連団体との「つきあい」があったかどうかで盛り上がり、出版社なども統一教会系の団体や平和運動・ボランティア等について記事を載せたというだけで、まるで犯罪行為であるかのように糾弾し、「説明責任を求める」などという異常な報道ぶりが続いています。どう考えても狂気じみているでしょう。

ひとつ、雑誌の広告について事例をあげてみます。
講談社の「週刊現代」は、統一教会系の商品として名高い「一和高麗人参茶」の広告を何度も掲載していました。
その全てをチェックできませんが、例えば1992年11月21日号の79頁には「一和高麗人参茶」の広告が掲載されています。

(▲講談社「週刊現代」1992年11月21日号、79頁「一和高麗人参茶」の広告)

「一和」というのは統一教会系の韓国ブランドで「一和高麗人参茶」の他、サッカーの「城南一和」、「一和メッコール(炭酸飲料)」なども有名です。

「一和高麗人参茶」の広告を掲載した「週刊現代」が発行された1992年といえば、8月25日に統一教会の合同結婚式が韓国で開催されており、桜田淳子さんなどが参加したことでワイワイ騒いでいた真っ最中でした。

もちろん当時は「霊感商法」の問題についてもオドロオドロしい悪徳商法、悪徳団体のイメージをかもし出した番組が連日のように報道され、ワイドショーが大いに繁盛していた時期です。

では、なぜ「週刊現代」は統一教会系の商品広告を掲載したのでしょうか?
ひょっとして講談社は当時、統一教会の合同結婚式や霊感商法などについて知らなかった。。。なんてことは絶対ないですよね。笑
その証拠に、同誌の206〜207頁には、飯星景子さんと統一教会のことについて取材した内容が掲載されています。

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(同誌206-207頁、飯星景子と統一教会関係の記事)

ここで私が何を言いたいかというと、「週刊現代も統一教会の宣伝をしていたじゃないか。説明責任を問う!」なんていう、バカバカしいことを言うつもりは全くないのです。

すなわち、現在メディアは少しでも統一教会との関係があった人物や団体について厳しく糾弾するようなことを言っていますが、実際には1992年の大騒ぎの真っ最中でさえ、(過激な左翼などの反統一教会グループ以外は)統一教会を悪徳団体などとは全く考えられていなかったという、ありのままの現実を提示したいのです。
良識ある出版社の講談社が、悪徳団体・犯罪集団などの広告を自らの雑誌に掲載するわけがないでしょう。

事情をよく知る人は知っていることですが、統一教会を悪徳団体であるかのように世論を扇動していったのは特定の左翼グループでした。

もちろん統一教会も宗教団体である以上、(あえて他の宗教のことは言いませんが)いろいろなトラブルがあったことは事実です。
しかし、その「被害」と称するものも、左翼グループによって(それを報じるメディアによって)「作り上げられた」という側面が大きいのです。

テレビによく出る紀藤正樹、山口広などの左翼弁護士グループの中に、むかし伊藤芳朗という有名な弁護士も入っていました。全員の名前を集めるとけっこうな人数になります。
そこで、彼らが何かを社会問題化したい場合、仲間の弁護士の名前をずら〜っと並べて迫力を出すようなことをよくやります。

伊藤弁護士は正直な方で、「ボクが弁護士になった理由」という著書の中で「弁護士業界の内輪話ですが、社会的に大々的に問題にしたい事件の場合、多数の弁護士が名前だけを連ねるということがときどきあるのです」と告白しています。正直ですね。
ただ、伊藤弁護士は彼らのグループと意見が合わなくなくなり、のちにグループを脱退なさったようです。

それにしても、テレビが世論を誘導する力は強力なものがあります。保守系の論客やユーチューバーですら、左翼の意見にどんどん巻き込まれ同調するような傾向があります。

例えば、ちょっとでもテレビに出ている左翼連中を批判するようなことを言うと、「お前も統一教会か!」などと罵倒するコメントが付くようなこともあるようです。

国家が左翼思想に染まってくると、ロクなことになりません。あたかもマスコミが第一の権力であるかのように、国家権力の上に立って世論をコントロールする姿は決して容認されてはならないのです。

しかし今の日本の現状では、個人の「人権」「信教の自由」などについて真の憲法精神に基づく正論を述べる人間は、世論の圧力を前にして、相当の勇気と信念を要することになってしまったようです。
posted by むちゅう(江本武忠) at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 安倍元首相暗殺事件をめぐって